何歳になっても、祝福し続ける

「何歳になっても祝福し続ける」 七月第一主日礼拝 宣教 2023年7月2日

 創世記 12章1〜4節     牧師 河野信一郎

 おはようございます。早いもので、2023年もちょうど半年が過ぎ、今朝は7月の第一主日を迎えました。このような素晴らしい朝に、礼拝者として大久保教会へと招かれ、皆さんとご一緒に礼拝をおささげすることができて感謝です。先週は、特別な礼拝でしたので、大勢の出席者がこの礼拝堂へと招かれ、久しぶりに大賑わいの礼拝でしたが、今朝はお休みの方が多いので、いつもより幾分か静かな礼拝となっています。しかし、この礼拝堂に、またオンラインで集められた皆さんと共に賛美と礼拝をおささげできて、心から幸いに感じます。

 さて、先月18日のメッセージは石垣副牧師で、先週25日のメッセージはBae宣教師でしたので、3週間ぶりにメッセージが出来ることを嬉しく感じています。この間に受けた恵みが多すぎて、皆さんにお伝えしたいという衝動を制御するのが大変なのですが、時間の都合上、大部分は来週の9日まで取っておく事にして、今朝は先週25日から本日まで過ごしています神学校週間のことを一つ、そして今朝覚えています教会創立58周年について分かち合わせていただき、その後に創世記12章の御言葉に聴いてまいりたいと思います。

 まず神学校週間のことです。先週の礼拝の中では、K兄が無牧師の教会が全国的に急増している事、牧師になって主の教会に仕えたいと思う献身者の数が減少していて危機的な現状である事、熱心に祈り求めてゆくことの重要性を丁寧に分かち合ってくださいました。皆さんはその祈りのアピールをお聞きになられて、どのようにお感じになられ、どのように一週間を過ごされたでしょうか。このことは見過ごせない深刻な問題です。わたしたちは、このことを祈り続けてゆく必要があります。そうでないと本当に大変な事になります。

 事の重大さを我が家の子どもたちはしっかりと受け止めて、真剣に考えてくれたのでしょう。先週の親子の会話の中で、献身者・神学生のことが話題となり、忌憚のない意見が交わされました。その中で、誰とは言えませんが、子どもの一人が「自分は牧師にはならない。いや、なれない。」と言いました。わたしは、すかさず「どうして?」と質問したのですが、その子から「だって、お父さんを見ていたら牧師の仕事は本当に大変で、自分にはお父さんのようなことは絶対できない。」という答えがすぐに返ってきました。

 わたしはそれまで笑顔で会話していましたが、その時一瞬で心はやるせない、いたたまれない、とても悲しい思いにさせられました。一人の子が実際にそう感じているのですから、他の2人の子どもたちの目にもそのように映っているのかもしれないと思わされ、子どもたちにそう思わせてきたことを強く後悔し、神様に対して大変申し訳なく感じました。

 子どもは親を選べません。牧師の家庭に生まれたことも神様のご計画の中にあることです。幸いにも、我が家の子どもたちは神様と教会の皆さんに愛され、可愛がられ、祝福されて今日まで成長してきて、成人し、今では礼拝において様々な働きを担ってくれています。3年前のコロナパンデミック初期、緊急事態宣言の時、3人の子どもたちの協力がなければ、この礼拝堂から礼拝をライブ配信することなどできませんでした。その時は本当に大変でしたが、今は良い思い出です。ですから、子どもたちにはいつも感謝しているのですが、その子たちの中から、「自分は牧師にはならない、献身はしない」と柔らかく拒否されますと身につまされる思いにさせられ、自分のこれまでの在り方など、色々と考えさせられます。

 そのような気持ち、分からなくもありません。しかし、そのような思いに子どもたちをさせてしまっていること、それは牧師として教会で仕える者だけの責任でしょうか。根本的な原因は何なのでしょうか。神学校週間の最終日、今後も神学校と神学生、そして献身者が与えられるようにわたしたちは祈りをささげ、献金を献げてサポートしてゆくべきですが、しかしそれだけではなく、日本にある大半の教会に内在する根本的で深刻な課題に目を注ぎ、それを解決してゆく必要が全国のキリスト教会に、わたしたちにあるのではないでしょうか。全国の諸教会が抱えている牧師不足という問題の根は相当深いのではないでしょうか。

 わたしもルイビルの神学校を卒業して今年で26年になります。この大久保教会の牧師として皆さんから招聘されてから25年になります。招聘された時は32歳で、牧師としての経験も知恵も忍耐もありませんでしたから、何度も判断ミス、たくさんの間違いを繰り返し、その度に教会の霊性、体力を弱くさせてしまいました。その事は心から申し訳なく思っていますし、牧師を辞任しようと思った回数は数えきれません。しかし、牧師になったことを後悔したことは今日に至るまで一度もありません。どうしてだと思われますか。確かに、大久保教会の皆さんの愛と祈りと忍耐と協力が25年間あったことは疑う余地はありません。わたしの母をはじめ、数えきれないほどの方々、信仰の友の愛と熱心でたゆまぬ祈りが背後にあったことも間違いはありません。ですから、いつも神様と皆さんに心から感謝しています。

 しかし、後悔しない最も大きな理由は、神様から「牧師になりなさい」という召命をはっきりと受けたからです。今から35年前の1988年6月中旬のある日です。父親として尊敬し、自分の目標としていた牧師の父が急に天に召された直後のことです。このことを話し出すと長くなりますので、手短にお話ししますが、牧師になるにも、クリスチャンになるにも、神様とイエス様からの招きがなければなれないのです。どんなに強く牧師になりたくても、クリスチャンになりたいと思っても、神様からの召命、招きがない限り、クリスチャンにも、牧師にも、宣教師にもなれません。自分の思い、願望、強い意志だけではだめなのです。主の招き、召しが必要不可欠なのです。わたしの子どもが牧師にはならない、なれないと思うのは、神様からの召し、招き、心の揺さぶりがないから、神様の御心でないからです。

 皆さんと今朝分かち合いたい二つ目のことは、大久保教会の創立に関してです。この地に大久保教会として誕生して58年を数えます。この教会の土台は何でしょうか。教会の土台はわたしたちの信仰ではありません。神様の御言葉、聖書です。神様の愛と御言葉に大いに心動かされた人たちがアメリカに大勢おられました。その中で神様に日本へと招かれたのが、アーネスト・ハロウェイー宣教師と妻のイダネル・ハロウェー宣教師でした。夫妻はアメリカの南部バプテスト連盟の諸教会から祈られ、宣教師として日本へ派遣されました。1953年からこの地に福音の種まきは始まりましたが、本格的に伝道が始まったのは1959年です。その後、西大久保伝道所となり、N先生をはじめ、多くの宣教師たちによって牧会され、徐々に建て上げられ、1965年7月4日に教会組織をし、大久保キリスト教会が創立しました。それから57年の歩みが守られ、今週から58週目の歩みが始まります。

 この大久保教会は、神様の不思議なご計画とイエス様の招きなくして、誕生することはなかったことを覚え、感謝しましょう。この教会の始まりは神様であり、教会の土台は神様のみ言葉としてこの地上に来られた救い主イエス・キリストの言葉、招きの言葉です。主の招きなくして、教会は存在しません。話しを元に戻しますが、わたしたち一人ひとりは神様に召され、イエス様に招かれた者です。この招きなくして、クリスチャンとはなれないのです。

 もし、皆さんの中に、「わたしはそうは思わない。クリスチャンになると決心したのはわたしであり、自分の意思でイエス様を救い主と信じ、自分でこの教会に来ると決めたからこの教会の会員になっている、あるいは礼拝に続けて出席している」と思っておられるならば、それは大きな勘違い、勝手な思い込みです。神様がこの教会を建てられ、教会のドアがすべての人に対して開かれ、礼拝者として招かれているので、わたしたちは今ここで礼拝をささげることができ、同時に祝福を受けることができているのです。わたしたちが今朝フォーカスしなければならないことは、何のために神様はわたしたちを召してくださり、イエス様は弟子として招いてくださったのか、招き続けてくださっているのかという神様の御心です。

 今朝わたしたちに与えられている聖書の御言葉は、創世記12章の1節から4節です。主なる神様がアブラムというカルデア人を神様に従う者として召される箇所です。「アブラム」という名前は、「彼は父として崇められる」という意味がありますが、この人は後に名前を「アブラハム」へと変えなさいと神様から命じられます。「アブラハム」という名前は、「大勢の父」という意味で、この人は「イスラエルの父」と呼ばれるようになります。

 この人はカルデアのウルという地に住んでいましたが、父テラがカナンという豊かな土地があると誰かから聞いたのでしょう、家族で移住しようと決めて出立します。しかし、その途中のハランという土地についた時、父のテラが高齢のため生涯を終えます。父を失った時、アブラムには三つの選択肢がありました。1)ハランに留まって生きてゆく、2)カルデアのウルに戻ってそこで生きてゆく、3)父テラが目指したカナンに向かって、そこで生きてゆくということ。ハランに留まるとは「現在」に留まって生きること、カルデアに戻るとは「過去」に戻ること、カナンを目指すことは「未来」に向かって生きてゆくことです。

 残された家族のこれからの運命は、アブラムの判断にかかっていました。彼は迷ったでしょうか。迷わなかったでしょうか。たぶん迷ったと思います。どうしてそう思うのか。答えは後ほどお話ししますが、そのような人生の分岐点に置かれた時、どちらの方向に向かうべきか、わたしたちは非常に迷うと思います。皆さんは、迷ったことは過去にないでしょうか。

 アブラムの場合、そのような苦しい時に神様からの語りかけがあり、招きの言葉があったのです。この言葉は、祝福への招きの言葉です。1節を読みましょう。「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい』」と招かれます。「生まれ故郷」は過去、「父の家」は現在を示し、過去と現在を離れて、神様が示す地へ、「未来」に向かって歩き出しなさいと招かれ、神様が見させてくださる土地で7つの祝福を与えると約束をされるのです。2節から3節までに7つの祝福の約束があります。

 1)わたしはあなたを大いなる国民にし、2)あなたを祝福し、3)あなたの名を高める、4)祝福の源にする、5)あなたを祝福する人を神は祝福し、6)あなたを呪う者を神は呪い、7)地上のすべての氏族はあなたによって祝福される。これらがアブラムに神様が約束された祝福です。7という数字は、聖書では完全数ですから、あなたを祝福するという神様の約束、その言葉の確かさ、真実さがその数に示されています。

 ここに記されている素晴らしい証しは、4節ですが、「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」ということです。ヘブライ人への手紙11章8節には、「信仰によって、神様に服従し、行き先も知らずにアブラハムは出発した」と記されています。アブラムは岐路に立たされた時、迷ったはずです。しかし、そのような時に、彼は神様からの語りかけを聞き逃さなかった。神様からの祝福への招きを聞いて、主に信頼して未来に向かって歩み出したのです。

 アブラムがそのように神様に約束された土地へ、未来に向かって歩み出した時、彼は75歳であったと記されています。現代では現役をとうの昔に退いて年齢です。しかし、年齢はそんなに関係ないのです。重要なのは、神様からの招きの言葉であり、約束の言葉であるのです。大切なのは、神様の言葉に信頼し、主の導きに従って生きてゆくことであり、祝福の源となって生きてゆくこと、生き続けることです。アブラムは神様からの招きに応え、信仰に生きることを選び取った後、もう100年長く、175歳まで生かされました。何のために生かされ続けたのでしょうか。神様の御心、ご計画があったからです。それは神様から素晴らしい祝福を受け取り、その祝福を出会ってゆく人々と分かち合い、祝福するためでした。

 わたしたちもそのために生かされ、この大久保教会もそのために建てられ続けているのではないでしょうか。何歳になっても、若かろうがなかろうが、健康であろうがなかろうが、富んでいようがなかろうが、神様に愛され、祝福されている者として、人生の中で出会ってゆく人たちを神様のように愛し、イエス様のように祝福するために生かされているのです。そう信じて、そう感謝して、共に歩み続けましょう。それが神様の、主イエス様の御心であると信じます。