御子を連れてイスラエルに帰国するヨセフ

「御子を連れてイスラエルに帰国するヨセフ」一月第二主日礼拝 宣教 2024年1月14日

 マタイによる福音書 2章19〜23節     牧師 河野信一郎

 新年2回目の主日を迎えました。今朝も皆さんとご一緒に、賛美と礼拝を神様へおささげできる幸いを主に感謝いたします。昨日、15時過ぎから18時半頃まで冷たい雨が新宿でも降り、18時に大きなフレイクの雪が一瞬だけ降りました。いつもなら都心の雪を見て嬉しくなるのですが、今回は能登半島の被災地に生きる方々のことが思い出されて心が沈みました。

 能登半島地震で被災された方々、大切な家族を失った方々の悲痛な叫び声がテレビのニュースを通して連日聞こえています。家族の中で自分だけ生き残ったという男性の涙、小さな漁港町で生まれ育って、その地域を出たことのない人の路頭に迷った声、避難所に移ることを拒否する高齢の方々の声、ずっと生きてきた土地で人生の終わりを迎えたいと涙する方、もっと安全な場所にヘリコプターで輸送される中で流されたご高齢の方の涙、夢を叶えるために九州から2年前に移住してきた若い夫婦が地震で夫が亡くなり、妻が生き残って、自宅の前で夫の名前を呼び続ける女性の細々とした声がテレビの画面から響いてきます。

 石川県だけで住宅被害に遭ったのは1万1000戸以上、死者220人、16日まで大雪と吹雪の予報と聞いて、心が強く締め付けられます。ライフラインがすべて寸断されて、生活水、飲料水が欲しいと叫んでおられます。わたしたちに出来ることは限られていますが、出来ることが示されるまで備えて待ちたいと思います。石金正裕兄も医療団の一員として被災地に行くということを先週彼から聞きました。その働きを覚え、また留守を守る家族のことをお祈りしましょう。息の長い救援と支援活動になります。キリスト教関係で募金などの情報があれば、月報などでお知らせしたいと情報収集をしています。今しばらくお待ちください。

 話題が北陸から逸れますが、もう2か月しますと東日本大震災から13年目を迎えます。わたしたちの教会では東北の地にある3つの教会を覚えて祈りの支援と献金をしています。週報裏の献金報告をご覧いただきますと東北支援献金の累計額が記されていますが、去年の三分の一の額になっています。また3月になりましたら支援のお声がけをさせていただきますが、東北の諸教会も大変厳しい状況下にありますので、お祈りに覚えていただければ幸いです。東北支援献金は教会会計を通さずにささげていますので、礼拝堂入り口にあります木の箱に献金はお入れいただけると幸いです。わたしたちが生きるこの土地が自然災害で被災していないのは、被災地に住み続ける人たち、特に福音を伝えるためにその地に立てられているキリスト教会を覚えて祈り、そしてサポートするためだとわたしは思います。

 さて、来週21日の主日礼拝のメッセージは、石垣副牧師です。石垣牧師のメッセージを大久保教会で聞けるのは、あと残すところ3回ですのでどうぞお聞き逃しなく。28日はスコット宣教師が頑張って日本語でメッセージしてくださいます。わたしは、練馬区にありますO教会の「冬の特別礼拝」でメッセージをさせていただきます。O教会は、わたしの信仰の祖父母である副田正義先生と信子先生がアメリカの諸教会の支援を受けて、1963年から開拓された教会です。わたしにとっては、アメリカの神学校を卒業して、その報告のために来日した際に、最初に出席した思い出の教会です。このO教会で神様の愛とイエス様の福音をストレートに分かち合えますように、お祈りいただければ幸いです。

 さて、アフタークリスマスの物語をマタイによる福音書2章の後半から2週に分けてメッセージしています。今回スポットライトを当てた人物は、マリアの夫であり、イエス様の養父であるヨセフです。2週にかけて彼の信仰と行動力に注目しています。先週もお話ししましたが、聖書の中では、ヨセフは一言も発しません。無言を貫きます。彼は、神様から預かった神の御子イエスとその母であり妻であるマリアを守り続ける護衛官の役に徹します。寡黙で、家族のために献身的に生きる人をかっこいいと思うのは、わたしだけでしょうか。

 このヨセフが何故そのような重責を担いつつも、無言を通すことができたのかという理由も幾つか挙げて前回お話ししました。ヨセフは、1)まず主なる神様を畏れ、2)神様の約束の言葉を信じ、3)その主の言葉を常に第一に聞き従ったからだと申しました。このヨセフの信仰と服従は、神様を畏れるという事と神様からの約束を信じたことに由来していると聖書から分かります。もし自分の中に自分なり思いや考えがあると、それが言葉になって口から出てしまうのが自然ですが、彼が無言であったのは自我を捨てて、神様の御心に従順に従ったということの表れであると思います。イエス・キリストも、実直なヨセフの背中を見て、幼少期から大人になるまで、ずっと育ってきたのではないかと思います。

 しかしヨセフのことを話す前に、どうしても触れておかなければならない人物がもう一人います。その人とは、イエス様がベツレヘムにお生まれになった時代の権力者ヘロデ王です。この卑劣で傲慢な王の一時的な怒りによって、ベツレヘム周辺一帯の男児が大勢殺され、子どもたちを失った母親たちと家族の嘆き悲しむ声がその一帯を覆い尽くしてゆくのです。

 事の始まりは、マタイ福音書の2章の最初に記されています。東方から来た占星術の学者たちはエルサレムの王宮に来て、ヘロデ王に次のように尋ねるのです。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と。これを聞いてヘロデは不安を抱きますが、そうでありましょう、自分の地位を脅かす者が生まれたと聞いて身の危険を感じたわけです。

 ヘロデ王はさっそく祭司長や律法学者たちを招集し、メシアはどこに生まれるのかを問いただし、ベツレヘムで生まれるところまで突き止めたのですが、ヘロデは自分から動こうとはしません。占星術の学者たちに、「ベツレヘムへ行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも拝もう」と言って送り出すのです。ここにヘロデ王の怠慢さと傲慢さ、つまり愚かさがあると思います。そのことを今から少しお話しします。

 ヘロデ王は、学者たちがイエスを拝んだ後に自分の元へ必ず帰ってくると高を括っていました。そうでなければ学者たちを尾行させ、見つかり次第、一気に捕えて殺すことも可能でした。しかし、ヘロデは学者たちが絶対に自分のもとに戻ると信じ込み、彼らから得た情報だけで捕らえて殺そうと考えていたようです。そこに彼の怠惰さと傲慢さがあります。しかし、ヘロデの思い通りにことは運びません。神様の御心のみがなるのです。

 先週ご一緒に聞きました箇所をもう一度読みたいと思います。マタイ福音書2章13節から15節です。「13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」とあります。

 神様は、夢の中でヨセフに現れて、これからヨセフがなすべき事を明確に告げ、その理由も伝えます。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」と。前回も申しましたが、北に約100キロ離れたナザレに戻るのではなく、南に250キロも離れたエジプトへ逃れなさいと命じるのです。わたしも45年前に家族と共にアメリカへの移住した経験がありますが、生活基盤のない異国に移り住むにはけっこう大変で、苦労も多いです。

 しかし14節と15節にありますように、「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた」のです。なぜ彼は直ちに行動に移し、異国の地で暮らせたのでしょうか。生活のこと、仕事のことなど不安はなかったのでしょうか。ヨセフがそのようにできたのは、「神は我々と共におられる」という神様の約束と神様から託された御子の命を守るという明確な使命が与えられていたからです。エジプトに逃亡する資金も、占星術の学者たちを通して黄金を神様が備えてくださっていました。神様のみ言葉と約束を信じ従えば、神様は必要を必ず満たしてくださると主に信頼したのです。

 さて、大きな問題は、16節にある「ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」という残忍な大罪です。激しく嘆き悲しむ声がその一帯に満ち溢れたのです。今この時も、パレスチナのガザ地区で、幼い子どもたちが権力者たちの傲慢さの犠牲となり、激しい嘆き声が一帯に響き渡り、悲しみと怒りがその一帯だけでなく世界中にも響き渡り、抗議活動が続いています。武器製造企業やイスラエルに加担する企業への不買・ボイコット運動もアメリカで盛んだと聞きました。

 多くの子どもたちがベツレヘム一帯で殺されている事実を知ることもなく、ヨセフは御子イエスと妻のマリアを連れてエジプトへ逃れます。言葉を変えて言うならば、彼ら家族は政治的亡命者になり、難民となったのです。しかし、ヨセフは、主なる神様に祈りながら、委ねながら歩みます。苦労もいっぱいあったでしょうが、彼はインマヌエルの神に従ったのです。わたしたちもそれぞれ置かれた場所で、主の言葉を聖書から聞き、祈りながら、委ねながら、なすべきことを誠実に成し、果たすべき責任を担いましょう。互いに励まし合いながら、共に歩んでゆきましょう。それがわたしたちに対する神様の御心なのです。

 さて、19節から21節を読みますと、「ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。』そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た」とあります。史実に基づいて計算しますと、エジプトでの避難生活は3年から4年であったと考えられていますが、ようやくイスラエルに帰国できる時が訪れました。しかし、まだ不安材料もあります。22節、「しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた」とあります。「そこに」とは、ベツレヘムであったと考えられますが、エルサレムに近い場所に戻ることにはリスクがあると考え込んでいたのでしょう、神様は夢の中で再びヨセフに現れて指示をお与えになります。ガリラヤ地方のナザレという町に住むということです。

 わたしたちは、幸いなことに、マタイによる福音書以外に三つの福音書が与えられていて、ルカによる福音書からヨセフとマリアの出身地はナザレであることをすでに知っています。ですから、「あれ、おかしいなぁ」と感じてしまうのですが、マタイによる福音書では、ナザレという地名は2章23節で初めて出てきます。そしてイエス様が30歳になった頃、ガリラヤ地方で伝道を始める時にナザレを離れるということが4章13節に記されています。

 その理由は一つのみです。2章23節に、ヨセフたちは「ナザレという町に行って住んだ。『彼(イエス)はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった」とあります。旧約の時代に、預言者たちを通して、御子イエス・キリストが生まれる遥か前に、神様が救い主をこの地上に遣わすという約束、メシアが誕生して悔い改める者をすべて救うという約束がされていたという神様のご配慮とご計画の壮大さと確かさ、神様の愛の深さ、広さ、強さをわたしたちに知らせるためであったのです。

 この神様の愛をわたしたちに届けるために、神様はヨセフを召し出し、彼を用いました。ヨセフも神様の言葉に無言で従い、御心に生きました。彼の信仰と献身がなければ、幼子イエス様の命は守られませんでした。救いはわたしたちに届けられませんでした。そう考えると、ヨセフという人はすごい人だと思いませんか。わたしはすごい人だと思います。

 それでは、神様の愛の中に今日も生かされているわたしたちはどうでしょうか。わたしたちにもそれぞれ思いや考え、人生計画や理想とする目標があります。その目標に向かってひたすら生きてゆきたい、自分のやりたいことを成して、それから人生を終えたいという希望があるでしょう。しかし、わたしたちを造られ、愛をもって生かしてくださる神様にはもっと壮大な計画がわたしたちにあるのです。そのご計画のために、わたしたちを用いたいと神様は願っておられます。神様のご計画とわたしたちの思いの間に立つ方が救い主イエス・キリストです。この主イエス様に聞き従う信仰へと招かれ、そこに永遠の祝福があるのです。