宣教『神さまはお急ぎにならない』 大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫 2024/02/18
〔聖書:コヘレトの言葉3章14~17節(p1037) 招詞:コヘレトの言葉3章1~4、8節〕
「はじめに」
「コヘレトの言葉」3章は、1節で「何事にも時があり・・・」と始まっています。このように、3章は「時」についてがテーマとなっています。
つい最近の事ですが、輪島市の一人の中年の男性が、「わたしにとっての“時”は、元旦で止まったままだ」と、涙を浮かべながらつぶやいていました。皆さまがよく知っておられる能登半島の代表的な産業に、「輪島塗」という工芸品がありますが、男性はその職人です。。
地震によって無残な有様になったままの、自分の作業所を見つめながら、「あの日、元旦から、わたしにとっての“時”は止まったままだ」と、つぶやいているのです。
わたしたちが、今、目にするのは、今のような避難生活が何時終わるのかと問いたくなるような事態です。
最も深刻なのは、ウクライナとパレスチナでの二つの戦争です。終わりが、何時になるのか分からないために、多くの人々が不安になり悲観的になっています。
そうした「時」についてですが、一つだけはっきりと分かっていることがあります。
わたしが高齢になったためでしょうか、人にとって残された「時」は、短いのだということです。
そのことが分かって来ると、今、生かされている「時」は、神さまが与えてくださった「恵みの時」として受けとめるようになりました。
「今は恵みの時」と受け止めて、わたしたちは今を生きていくことが求められているのです。
今朝は、この「時」という言葉を頭の片隅に置きながら、御言葉に導かれ、ご一緒に主を崇めたいと願っています。
「コヘレトの言葉3:1~8節・この人生を生きよ」
ここからは、聖書をお開きになるか、スライドを読みながらお聞きください。
「コヘレトの言葉3章1~17節までの大きな段落を短く纏めますと、次のような言葉になります。
『「時」というものは、過去ってから、初めて分かるのだ。
だからこそ、「今」というこの時を決して無駄にしてはならない。
あなたに与えられた今の時を、真剣に生きよ。』
コヘレトはこの段落全体で、そのように勧めています。
招詞として読まれました、3章のはじめの方、1節から8節までは、人生には様々な局面があることを、短い沢山の言葉で綴っています。その言葉を見渡してみますと、次のように表現しようとしているのが分かります。
(1~2) 人にはみな、誕生の時がある。人はみな成人して様々な仕事に就く。
そして、人の生涯は死で終わる。
(3) 国が戦争を始めれば、人は兵士となり、敵を殺さねばならない。そのような時がある。
(3~5) 壊される時があるが、建設の労働に就く時がある。
(5~7) 人生には、望ましいこと願わしいことが起きるが、時には、その反対のことが起こる。
短い言葉で綴られていますが、一言一言に深い意味があります
そして第8節で、次のような言葉で結ばれています。
愛するための時と、憎む時。
戦争のための時と、平和の時のため。(3:8)
この二年間は特別に、世界中の人々が心を痛めつつ、繰り返して「平和を」と祈って来ました。
2021年1月のことですが、アメリカ大統領選挙で、トランプ氏が破れ、穏健なバイデン氏に変わりました。16年間ドイツ首相を務め、世界の安定に努めて来たメルケル首相が2021年9月に退任しました。
この二つの国の変化を待っていたかのように、2022年2月下旬、ロシアはウクライナに侵攻しました。西側陣営に向きを変えたウクライナが憎かったのでしょうか。
やがてロシアはウクライナを、再建不能と思えるほどに徹底して破壊していきます。世界的にロシアへの批判が高まりますが、戦争は一層激しくなっています。そうした最中ですが、ウクライナの閣僚が日本を訪れ、早くも再建への取り組みを相談しています。
こうした混乱に目を奪われている時に、2023年10月7日、パレスチナの実権を掌握しているハマスが、イスラエルの人々を襲いました。イスラエル軍はガザ地区に侵攻して、激しさを増しています。この戦闘も長期化する様相です。わたしたちの目には、ウクライナもパレスチナも、再建の意欲を奪うかのように、すさまじく破壊しつくされていますが、何時、どのような形で終わるのでしょうか。
コヘレトの言葉のように、世の中は対局にある二つのことが、絡み合いながら、流れています。人々は、苦悩と喜びが入り混じる人生を生きていきます。
それでもコヘレトは、「あなた方は、この人生を生きよ」と、言っています。
「コヘレトの言葉3章9~17節・神を畏れよ」
聖書朗読では、3章14節から17節を読んで頂きました。
敢えて9節から13節を抜かしましたが、その節だけを読みますと、コヘレトという人物は、暗い投げやりな人物に思えて来ます。
しかし次の14節以下を読み進みますと、コヘレトは、自分の人生を、神への信仰に立って、真剣に生きる、明るい人物に思えて来ます。
3:14 わたしは知った/すべて神の業は永遠に不変であり/付け加えることも除くことも許されない、と。
神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
3:15 今あることは既にあったこと/これからあることも既にあったこと。
追いやられたものを、神は尋ね求められる。
3:16 太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。
3:17 わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。
アンダーラインをした言葉を、抜き出してみました。
3:14 神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
3:15 追いやられたものを、神は尋ね求められる。
3:17すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。
わたしは、この三つの言葉に注目しました。ここでコヘレトは、あらゆる時を支配する唯一の主である神、世界の時計を、完全に握っておられる神について述べています。
この後コヘレトは、神はどのようなことをなさるのかを、あらゆる角度から示していきます。
どのような人生の中であっても、神は、人間が神を畏れ敬うようにと導いて行かれます。
どうぞ、「コヘレトの言葉」を味わってください。
「初めての海外旅行」
今朝は初めから、難しい話が続いてしまいましたので、「時」にまつわる、わたしが経験した楽しい話題で終えたいと思います。
1991年、わたしが52歳の時ですが、長いお付き合いをしてきた取引先の方から、「一緒に、フランスとスペインの旅に行かないか」とのお誘いがありました。わたしにとりましては、52歳にして、初めての海外旅行であり、二週間の旅でした。そのような機会は、めったにないことに思え、すぐに「行きましょう」と応じました。
その旅の主催者は、渋谷の百貨店です。その店舗で、建築・店舗設備に関わっている人たちと、デザイン・広告に関わっている人たちに向けた「研修旅行」でした。
二つの国で幾つかの、商業施設や美術館を見ましたが、自由時間もたくさんある楽しい旅行でした。
旅の終わりは、スペインのバルセロナでした。生涯をバルセロナで送った、建築家ガウディ(1852~1926)の建築群と、彼の生き方を知りました。
二年後にオリンピックを控えているバルセロナでは、日本人の建築家が設計したメインスタジアムが建築中でした。そうしたこともありまして、当時の日本では、スペインのことが、しきりに報道されていました。
バルセロナでゆっくりと見て回ったのは、建築家アントニ・ガウディが設計した建築群でした。グエル公園・、高級な集合住宅、最後は建築途中の「サグラダ・ファミリア贖罪教会」でした。日本では「聖家族教会」と呼ばれています。「聖家族」とは、ヨセフ・マリア・イエスのことです。
当時、この大聖堂は、着工して110年経っていましたが、工事中でした。入場料収入を得るため、完成した箇所だけに観光客が入れました。それから40年経ち、現在では年間300万人が訪れる、世界有数の観光施設になっています。エレベーターで登り、螺旋階段で降りてくる仕組みになっています。
わたしが訪れた時、登れるのは、170メートルの塔の100メートル足らずまででしたが、エレベータの係りは、待っている人の列を目にしながら、「昼食に行ってくる」と言い、扉を閉めて行ってしまいました。わたしたちは数人で、許された高さまで螺旋階段で登り降りしました。
この写真は、帰り際に寄ったショップで購入した小さな壁掛けです。「これは見本で、売り物はもうない」と言われたのですが、わたしが何時までも立ち去らなかったためでしょうか、紙に包んで渡してくれました。そのような思い出が残る場所でした。
この「サグラダ・ファミリア教会」についてですが、バルセロナの本屋さんの発想で、他には無いような礼拝堂を作ろうと発案し、カトリック教会の礼拝堂として、1882年に着工しました。しかし一年も経たぬうちに、何かの事情があって設計主任が解雇されてしまいました。翌年の1883年、新しい設計主任はアントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)でした。ガウディは31歳にして設計主任となりました。このガウディは、すでに20代から、バルセロナの建築を数多く手がけていました。教会の建設をしながら、大富豪・グエル氏の依頼で、広大なグエル公園を手掛け、高級な集合住宅を完成させて行きました。
設計主任となったものの、建物としての最終の設計図はなく、ガウディがスケッチを描いては仕事を進めていくという手法で始まりました。そのうえガウディは、建設資金集めの責任を負うことになっていました。その資金とは、教会での献金や人々の寄付が頼りでした。
ガウディは、主任設計者としての立場と、資金集めの責任を43年間にわたって負い続けました。毎日、設計図としてのスケッチで現場の指揮を終えると、資金を集めるため、バルセロナの町を回りました。自分の身なりをかまっている暇がなく、いつもボロボロになった服をまとっていたという事です。町の人はガウディに会うと寄付を求められるので、ガウディを避けて歩いたそうです。乏しい資金で、建設は思うように進みません。しかしガウディの気力が衰えることはありませんでした。
1926年のことです。ガウディが工事現場に向かう途中の出来事です。歩きながら思い描くのは教会の設計図であったのでしょう。走ってくる路面電車に衝突し、その生涯を終えました。その亡骸は、人々の願いで、今も教会の地下に眠っています。建設に携わる人たちは、43年間にわたるガウディの思いを受け継ぎ、「彼ならばこうするだろう」と想像しながら、今も建設を進めています。31歳から43年間、自分の生涯を捧げたアントニ・ガウディは、いまも教会の地下で、完成の時を静かに見守っています。
1882年の建設開始から、百年の節目となる1982年のことです。建設途中の教会で、記念の式典が行われました。そのとき、誰ということなく、「いったいこの会堂はいつできるのだろうか」という話題になりました。やがてその話題は、市民のその年の、日常の挨拶になりました。
ガウディの口癖は「急がば回れ」であったそうです。毎日のように、「焦るな、急ぐな」と言い続けていたそうです。
わたしは、そこから生まれた言葉だと思うのですが、何かにつけて、『何をしているのか、遅いではないか。何時になるのだ』と他人に言われたなら、即座に、『神さまはお急ぎにならない』”Dios No tiene prisa”と、この言葉が交わされるようになりました。
『神さまは急がない』。この言葉は、百年を迎えた1982年、記念の年の流行語になったそうです。急いで工事をしても、神様に喜ばれるような建物はできるはずはない。「できるものか」と町の人たちは思ったのです。
わたしたちの生活と人生の歩みはどうでしょうか。焦ったり急いではいないでしょうか。勉強でも仕事でも、分けても教会の歩み、信仰の歩みには、皆、長い忍耐が必要です。
2月14日から、「受難節」を迎えています。今続いている二つの戦争も、やがて終わる時が来ます。戦争当事者も、見守るわたしたちも、残された瓦礫の山を見たときに、この戦いには、どんな意味があったのだろうかと、思いめぐらす時が必ず来ると思います。
繰り返しになりますが、3節4節に、『殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時(3:3)。泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時(3:4』とありました。
「壊された」と思われたイエス・キリストの十字架の死は、復活という姿でわたしたちに希望をもたらしました。壊すにしても建てるにしても、泣くにしても踊るにしても、全ての時は、神への畏れと信頼を与えてくださいます。受難節の日々を、コヘレトの言葉に祈りを導かれて、新しく歩ませて頂きましょう。
【祈り】