終わりの中に、始まりが

宣教「終りの中に、始まりが」大久保バプテスト教会副牧師石垣茂夫       2024/03/17

聖書:フィリピの信徒への手紙1章3~6節(p136)

 

「はじめに」

聖書朗読で、フィリピの信徒への手紙1章3~6節が読まれました。

わたしたちが、今、信仰を守られここに集められていることも、信仰を求めて集っていることも、すべて、神がなされる善き業です。

わたしたちはやがて「キリスト・イエスの日」を迎えますが、わたしたちの中に、信仰という善き業を始められた方は、その日に向けて、わたしたちを完成へと導いてくださいます。わたしたちはこの希望の内に生かされるように、この朝の御言葉に導かれたいと願っています。

「皆様の声に導かれて」

わたしが副牧師として就任した最初の頃のことですが、皆様から掛けられた言葉によって、副牧師として求められる働きは何か、そうした目標を与えられて来ました。

2011年6月、副牧師として就任したばかりの頃、ある方がこのように話しかけてこられました。

「わたしは書物を読んで来なかった。それをとても後悔している。あなたは沢山、本を読んでください。それは牧師として必要なことですから」と、そのような言葉でした。

その後にすぐ、他の方が一冊の説教集をプレゼントして下さいました。

そして「副牧師のあなたは、是非、説教を頑張ってください」と、励ましてくださいました。

そうした何人かのお言葉によって、わたしの役目の大事なことが、「説教」にあると思うようになりました。

その年の8月になって、初めて礼拝説教をさせていただきました。

礼拝後の事です、ひとりのご婦人が語りかけて来られました。

「選んだ聖書の個所も内容も、とても良かった。ただ、先生! 声が小さい。もっと大きな声で説教をしてください!」、そのように言われました。確かに、自信なく、ぼそぼそと話していました。

バプテスト派の教会は、「説教」のことを「宣教」と呼びます。「宣教」は、キリストの救いを伝えることです。果たしてわたしの「説教」は、キリストの救いを伝える目的の「宣教」になっているだろうか。そのような不安も起きていました。

そして今年の初めの事ですが、ある方がこのような言葉をかけてくださいました。

「この教会での働きは、終わりますが、新しいことを神様が始めてくださいますように」、そのような言葉でした。84歳になりますので、「新しいこと」などは考えにくくなっていました。しかしそのように見守っていてくださるのを嬉しく思いました。

その言葉で思い出したのが「終りの中に、始まりが」とのタイトルの本でした。この書物と同じような言葉をかけられて、もう一度その本を手に取りました。

著者は、ユルゲン・モルトマン(J.Moltmann)という、ドイツの神学者です。あとがきに、日本の牧師たちが熱心に、「一度日本にも来てください」と願い、来日が実現したと書かれていました。

モルトマンは、日本の実情をよく調べ、「沖縄」、これが、日本の大きな問題だと捉え、来日の第一歩を沖縄と決め、2003年4月、那覇空港に降り立ちました。

沖縄は第二次大戦末期に、100万人の人口の四分の一、25万人の命を失いました。沖縄での実質的な戦闘が終わったのは1945年6月23日でした。沖縄は、その日を「命どぅ宝の日」と名付け、記念の日としています。バプテスト連盟の諸教会は、その日に沖縄を覚えて、礼拝することを続けています。

そして現在はどうでしょうか。日本の米軍基地の70%以上を、沖縄が担っています。こうした沖縄の痛みを、皆さまが良く知っておられます。特に基地の問題は、沖縄の人たちに分断という苦しみを与え続けています。モルトマンは、自分の肌で「沖縄」を感じ取ってから、日本各地で講演し、帰国しました。その合間に主催者に手渡されたのが、「終りの中に、始まりが」という、この著書の原稿でした。その後二年かけて日本語版が出版されました。わたしがこの著書を購入したのは2006年、神学校入学の直前でした。その初めの方に、「新しいことを始めるのに、歳を取りすぎているという事はない」とありました。その先には「高齢者には、高齢者ならではの創造力がある」と、そのようにも書かれていて、そこに、自分で線を引いていました。66歳で神学校入学ですので、とても励まされたことを憶えています。

「終りの中」

この著書で言う「終り」とは、キリストの十字架の死のことです。キリストが十字架で死なれ、「これで終わりだ」と人々は思いましたが、終わりではなかったのです。

父なる神はキリストを、死の床から起き上がらせ、そこから、ご自身の、人間に対しての救いの業を始めて行かれました。終りの中に、始まりが起きたのです。そこに希望があるとモルトマンは言っています。

十字架の死の三日後に、復活のイエス・キリストが、弟子たちの前に姿を現しました。

復活のキリストは、40日間、地上に留まって弟子たちと共に過ごし、父なる神のもとに帰っていかれました(使徒1章)。その別れに当たっての約束は、「わたしは去って行くが、あなたがたところへ戻って来る」(ヨハネ14章、使徒1章)、という約束でした。以来、弟子たちは、キリストがもう一度自分たちのところに戻る日、キリスト・イエスの日」を、待ち望んで生きることになりました。

今を生きるわたしたちの信仰も、「キリスト・イエスの日を待ち望みつつ生きる」ことです。

「待つ」ということは。忍耐のいることです。「再臨」と呼ぶその日は、直ぐに来ると最初期のキリスト者たちは捉え、待っていましたが、その日は中々来ないのです。

次第に周囲から、「キリストの再臨はいつなのだ」「再臨はどうなったのだ」と、繰り返して圧力をかけられるようになりました。当時のキリスト者たちは、迷い苦しんだと思います。

キリスト・イエスの日」

聖書朗読で読んで頂いたみ言葉ですが、フィリピ1章の3節から5節をお読みします。

1:3 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、

 1:4 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。

 1:5 それは、あなたがたが最初の日から今日まで福音にあずかっているからです。

5節の「最初の日」とはいつのことでしょうか。これはパウロ一行が、フィリピの祈りの場で礼拝する女性たちに出会い、キリストの救いを伝えますと、彼女たちは受け入れました。それが「最初の日」です(使徒16章11~)。

次の「今日まで」までとは、フィリピの人たちがパウロからの手紙を受け取った日です。

今、パウロたちはローマで捕らわれの身となっており、獄中からこの手紙を書きました。この間、およそ10年を経ていたと思われます。

「福音にあずかっている」とは、この10年、フィリピの教会の人たちは、キリストの救いの中に生き続けて来たということです。

「フィリピの人たちは、最初の日から今日まで、」、変わることなく、キリストの救いの中にあり、パウロたちの宣教活動を支えて続けて来ました。パウロは、そのように、フィリピの人たちを導いたのは、ほかならぬ神であると確信して、続く6節の言葉を書きました。

6節を読みます。

1:6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。

パウロは確信していました。フィリピの人たちに、「善い業」・「キリストの信仰」を始めたのは、自分たちではない、父なる神である。神は、成し遂げるまで関わってくださると、パウロは断言しています。

キリストにある諸教会と、大久保教会の歩みは、フィリピの教会につながっています。

パウロは、「これで終わり」と思わせるような事態に教会が直面しても、そこから結論は出ない。わたしたちは「神が始めてくださった」との確信を持とう、「神が成し遂げてくださる」との確信をもって、わたしたちの今を、歩んでいこうと、語っています。

「終わりの中に、始まりが」

ここからは、私事になりますことをお許しください。

わたしにはこれまで、大きく「これで終わりか」と思わせることが二度ありました。

その一つ目は、突然の父の死でした。父は、「店舗設計設備業」呼ぶ小さな会社を開業しました。父には、わたしにこの仕事を継いでいってほしいとの願いがありましたが、それ以上に、自分の寿命が短いと思っていたようです。

わたしが高校二年生の時、父が家庭教師をわたしに付けました。それは勉強のためではなく、わたしに設計図を描くことを習わせるためでした。先生は、大学建築科のベテラン教員です。

週に一度、学校から帰りますと先生が待っています。そして製図版に向かわせられ、一本の線を引くことからはじまり、家具の設計図を書くことを習いました。やがて立体的に書けるようになり、図面は次第に大きくなって、店舗の設計図まで書くようになりました。遊びたい盛りの高校生でしたから、その時間がいやでなりません。時々ぶらぶらと時間をつぶしては遅く帰りましたが、どんなに遅くなっても、その先生は、わたしの気持ちが分かっているようで、いつも笑顔で待っていました。そのようにして1年半ほど製図を習いましたので、大学生になった時には、家業の図面は、全てわたしが書くようになっていました。

わたしは、身近にいて、弱っていく父の姿を、7年、8年と見てきましたが、ある頃から、この父を頼らずに生きて行こうと思うようになりました。25歳の時に、正式に、正子との結婚を約束しました。その二か月後、父が亡くなりました。ある程度感じてはいたのですが、「これで終わりか」と思わせるような出来事でした。

その日以来、しばらくは、悲しむ間もないような日々が続きましたが、教会の皆さんに励まされ、神様と皆さんの前で約束した結婚のことが果たせるようにと、その後の日々を送り、新しい日々が始まりました。

第二の「これで終わりか」という出来事は、40年後、2006年初め、その「家業を止める」という事態になったことです。この時はとても落ち込んでしまいました。しかし、そのような中であっても、幸いにも、これからは自由に何かが出来るとの思いに変えられて行きました。

ふと、若いころに、忙しさのために途中で止めてしまったキリスト教神学の学びを思い出していました。そしてもう一度、神学の学びに取り組んでみようと思い、2006年9月、自宅から一番近い、「東京バプテスト神学校」を訪ね、10月からの入学を願って許されました。

しかし、入学前に手渡された「授業一覧」(summary)を見て、わたしはとても不安になりました。組織神学、ヘブライ語、ギリシャ語など、思いが及ばなかった科目が並んでいました。さて、何から学んでいったら良いのでしょうか。

その時わたしは、無理せずにゆっくり学んでいこうと決め、多くの科目の中から「集団力学Group-dynamics」と「交流分析Transactional Analysis」を選びました。どちらも神学ではなく、一般社会での心理的研究です。最初にこの二つを選び、神学校での半年間を送りました。

この二つの授業はどちらも、講義を聞くよりも、実験的でありゲーム感覚の時間でした。

皆さまは、「自分を知り、他者を知る」という言葉をご存じでしょうか。

わたしたちは、大勢の人たちの間で生きていきます。その時に大事なのは、互いを理解して認め合うという事です。こうした学びの目標は、人間理解であり、「自分を知り、他者を知る」ということでした。

その授業の効果でしょうか、7~8人のクラスの仲間とは、その後の学びの中で、互いに励まし合う間柄になっていました。

入学から四年間が過ぎようとしていたころのことです。わたしにはまだ、「教会に仕えたい」、「伝道したい」との思いはありませんでした。学生主任の先生からは、卒業年度を前にして「あなたは、どうしたいのだ。どの教会に仕えたいのか。」と問われましたが、答えることが出来ません。

それでも、卒業のためには、「実習教会」を決め、半年間その教会で過ごすことが必須のことでした。そして、神学校講師であった河野先生と大久保教会を思い出し、担当教師に伝え、その道が開かれていきました。

わたしの「献身の思い」は、その大久保教会の教会実習、半年間で導かれました。そのようにして、わたしの思いには無かった決心が、大久保教会で与えられ、今日までの日々が与えられて来ました。

「これで終わりか」という思いを越えて、わたしに中に、新しい業を始めてくださった神さまに感謝します。13年間、皆さまとの交わりの中で、ご一緒に共に過ごせたことを重ねて感謝します。

「善き力にわれ囲まれ」

今朝はこの後、新生讃美歌73番「善き力にわれ囲まれ」を賛美します。ドイツ・プロテスタント教会の牧師であった、ディートリヒ・ボンフェッファー(Dietrich Bonhoeffer 1906~1945)の作詞です。

ボンフェッファーは、ヒトラー暗殺計画に加わったことで、1943年4月5日に逮捕され収監されていましたが、二年後の1945年4月23日、終戦の一週間前に処刑されました。39歳でした。

その一年前、1944年に婚約者マリアに送った手紙が、20年後に発見されました。その手紙に、歌詞の基になった詩が書かれていて、その詩をもとに、何人もの人が作曲しました。

わたしはバプテスト教会で、初めてこの曲を賛美し、大好きな讃美歌になりました。

わたしは、自分勝手な生き方をしてきたと思うことがありますが、いつも、「善き力に囲まれて」歩む事が出来たと感謝しています。これまでの、皆さまとの出会いと、これからの日々を互いに思いつつ、賛美しましょう。【祈り】