「霊の実・誠実 誠実な人たちを主は顧みる」 12月第一主日礼拝宣教 2020年12月6日
ガラテヤの信徒への手紙 5章22節〜23節
マタイによる福音書 25章14〜30節 牧師 河野信一郎
おはようございます。今朝もこのように皆さんとご一緒にこの礼拝堂で、またインターネットを通して礼拝をおささげできる幸いを神様に感謝いたします。
先週からクリスマスを迎えるための心の準備の期間・アドベント(待降節)を過ごしていますが、そのような中、わたしたちの周りではコロナウイルス新規感染の拡大が収まらず、感染者数は過去最高記録を連日塗り替えています。この首都圏も、全国的にも勢いが収まる感じではありません。インターネットを通して共に礼拝をおささげくださっている皆さんと顔と顔を合わせてともに礼拝をおささげできる日がさらに遠のいているようですし、今ここにおられる方々ともいつまた集うことができなくなるか、正直言って分かりません。健康に不安のある方々は引き続き外出をお控えいただき、外へ出なければならない方々は感染拡大阻止の最大限の手立てを日々講じていただきたいと思います。日々主なる神様に信頼し、忍耐し、お互いのために覚えて祈り合い、支え合い、ともにこの難局を乗り越えてゆきましょう。とにかく、命が今日も与えられ、今日という日が今日与えられ、ともに礼拝をおささげできる恵みが与えられている幸いを神様に感謝し、今日という日を主を賛美して過ごしましょう。
先週29日から今日までの8日間、世界バプテスト祈祷週間を過ごして参りました。世界宣教、国内宣教、宣教地で神様に用いられている働き人たちとその活動のためにお祈りをしてきましたが、この祈祷週間だけでなく、日々祈り続け、サポートし続ける必要があります。イエス様のことを人々に紹介する方法は5万とあります。しかし、2週間前にご紹介した「CGNTVジャパン」のドキュメンタリー「私たちが愛した最後の時間(愛するがゆえ続編)という番組をご覧いただけましたでしょうか。まだの方はぜひご覧いただきたいと思います。韓国から医療宣教師として30年前にフィリピンへ派遣されたパク医師が末期ガンになっても、治療を続けながらもマニラのスラム街と周辺の過疎地、山奥に生きる人たちに仕えた記録です。
去る12月4日は、アフガニスタンの人々を愛し、35年間も医療活動と用水路建設に尽力された中村哲先生が銃撃されて亡くなられてからちょうど一年が経った日でした。この先生は、1984年に日本キリスト教海外医療協力会、わたしたちも長年関わりのある団体で、教会員の姉妹が今年から勤務されていますが、そのJOCSからまずパキスタン北西部のペシャワールに派遣され、2019年まで誠実に仕えられた方です。皆さんも覚えておられると思います。中村先生は、まず医療を通して、その後は用水路建設という働きを通して仕えられましたが、アフガニスタンで唯一人々の信頼を得た人と言われています。この事はわたしたちが今朝聴くべき神様のみ言葉に直結していますので、ご一緒に聴いてゆきたいと思いますが、とにかく、イエス様を紹介する方法は、イエス様を救い主と信じて従う人々の数と同じだけあるという事、わたしたちにもイエス様を紹介し、神様の愛を分かち合う役割がある事を覚えましょう。
さて、今朝もご一緒にガラテヤの信徒への手紙の5章22節と23節に記されています9つの霊の実を1つ取り上げて聖書に聴いてゆきたいと思いますが、これまでに「愛」、「喜び」、「平和」、「寛容」、「親切」、「善意」いう実について主イエス様のみ言葉と使徒たちを通して神様が語られるみ言葉に聴いてまいりました。あと3つありますが、今朝と27日の年末感謝礼拝、そして来年1月10日の主日礼拝の中で1つずつ聴いてまいりますが、今朝は「誠実」という霊の実を結ぶことについて聴きます。
この「誠実」という実を表すギリシャ語は「ピスティス」という言葉が用いられていますが、「ピスティス」は「信仰」という意味の言葉として最も用いられています。この言葉は、神様の「真実さ」や「まこと」を表す言葉としても用いされます。例えば、使徒ヨハネは、第一ヨハネ1章9節(新約441頁)で、「自分の罪を公に言い表すなら、神は『真実』で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」と書いています。使徒ペテロは第一ペテロ4章19節で「神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、『真実』であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい」と書き記しています。使徒パウロは第二テサロニケ3章3節で「主は『真実』なお方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます」と書き送ってクリスチャンたちを励ましています。わたしたちに誠実さが求められているのは、神様がわたしたちに対して真実・誠実であられるからということを心に収めたいと思います。
少しニュアンス的に逸れるかもしれませんが、もう一つ覚えたいことは、フィリピの信徒への手紙2章6節から8節に記されていることで、このようにあります。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで従順でした」という言葉です。この神様に忠実・従順で、わたしたちに誠実なイエス様がこの地上に誕生してくださったことを感謝するクリスマスの準備を、まず心の中から始めてゆきたいと強く感じさせられます。
この「ピスティス」という言葉は、わたしたちの神様と隣人に対する関わり合いの中で求めておられる愛の表現する方法として「誠実に生きる」事を表す言葉として聖書では用いられています。使徒ヨハネはガイオという人に「愛する者よ、あなたは、兄弟たち、それも、よそから来た人たちのために誠意をもって尽くしています」と第三ヨハネ5節で書き送っていますが、「誠意」というように訳されています。使徒パウロは、第一コリンと4章17節で、弟子のテモテの事を「彼はわたしの愛する子で、主において忠実な者である」と言っていますが、「忠実」という言葉もこの「ピスティス」を語源とした言葉になっています。英語の聖書訳を色々と見ますと、この言葉はTrustworthy、つまり信頼できる、信頼に値する、頼れるという言葉で訳されることもしばしばです。
主なる神様とイエス様は、わたしたちにこの「誠実・信頼」という霊の実を結びなさいと求めておられます。ガラテヤ教会には分裂と争いがありましたから、教会内に信頼関係がなく、反対の立場にいる兄弟姉妹を疑いの目で見たりしていたことがうかがえます。信頼関係が教会にないということ、お互いに対する愛と尊敬な思い、誠実さがない群れを群れと、キリストのからだなる「教会」と呼べるでしょうか。ですから、神様の憐れみと助け、ご聖霊の励ましを受けて「誠実」という実を結びなさいと使徒パウロは叱咤激励をガラテヤ教会の信徒たちにしているのだと聞こえてきます。
さて、皆さんは何か仕事をするとき、どのような人と一緒に仕事がしたいでしょうか、誠実な人、あるいは、気まぐれで行き当たりばったりの人、どちらを選ばれますか。多分、限りなく100%に近い割合で誠実な人を選ばれると思います。そうではないでしょうか。「わたしはどちらかというと行き当たりばったりのような人間だから、同じような気まぐれの人がいいなぁ」と思われる方ももしかしたらおられるかもしれませんが、普通なら「わたしは優柔不断な人間だから、一緒に働く人は頼れる人がいいなぁ」と思うのではないでしょうか。
わたしは今年の春先にとある人の推薦状をとある企業に送りましたが、推薦状の内容で最も重要視されることは、その就職志願者は信頼できる人かということです。その人の性質に一番の関心が寄せられます。なぜなら、人間性の中で「誠実さ」が企業にとってより良い会社、より良い職場環境を作るために重要であるからです。会社は、ある意味、その人を雇うと同時にその人に投資するわけです。良い大学卒で、どんなに頭が切れて有能でも、どんなに容姿が良くても、誠実でなかったら、性格が悪かったりしたら、たぶん会社はそういう人を雇わないでしょう。どうでしょうか。
さて、今朝はマタイによる福音書25章に記されています主イエス様の「タラントン」たとえから神様と主イエス様がわたしたちに求めておられる「誠実」という実を結ぶことを聴いて行きたいと思います。先ほど読んでいただきましたが、ここは天の国についてイエス様がたとえを語られている比較的長い箇所ですが、十分に理解できる内容だと思います。
ある人が旅行に出かけるにあたって、使用人たちを呼んで、一人に5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けます。ここに「僕を呼んで」とありますが、わたしたちも主イエス様によって呼び集められています。それは、主イエス様の働きをするためです。その主の呼びかけと期待に気づくかどうかによって、クリスチャンとしての生き方が根本的に変わって来ます。イエス様につながり続ける中で、わたしは自分のためではなく、主のために生きるために罪赦され、救われ、生かされている、また生きるために必要なものが日々与えられていると感謝し、心から仕える喜びが与えられてゆきます。
また、預かっているということは、当たり前のことですが、自分のものではないということ、いつか神様にお返しするものであること、また預かっている間はそれを大切にしなければならないということです。わたしたちに預けられたのには、神様に確かなご意志とご計画、またご配慮があるということです。神様から与えられたもの、預けられたものを拒絶するのではなく、感謝して受け取り、それを用いるということが大切だとこのタラントンのたとえは教えてくれています。
さて、1タラントンというのは、どれぐらいの金額か、お分かりでしょうか。1タラントンは6000日分の賃金ですから、約17年分の賃金です。ご自分の1日の賃金で計算してみてください。莫大な金額が預けられたということは、つまりそれだけ主人に、主イエス様に信頼され、投資されているということが言えると思います。
15節に「それぞれの力に応じて」、タラントンが預けられ、委託されています。わたしたちにもそれぞれに神様から預かっている賜物があります。それぞれに賜物は違いますが、神様から託されている働きがそれぞれにはありますので、違いがあってしかるべきです。一喜一憂するとか、優越感を持つとか、劣等感に陥ったりするとか、嫉妬することではありません。恵みを感謝して受け取り、それを主のために用いることが重要です。
5タラントン預かった人も、2タラントン預かった人も、出かけて行って、そのお金で商売をし、預かった倍の金額を儲けました。しかし、1タラントン預かった人は、主人を恐れてお金を土の中に隠して、それ以外は何もしませんでした。預かったものを有効に用いなかったのです。わたしたちはそれぞれの力に応じて神様から賜物が預けられていますが、それは主のために用いるために預けられたものです。わたしたちは神様から有りとあらゆるものを預かっています。命、体、健康、能力、時間、富、信仰、まだたくさんありますが、それらを自分のためだけに使うのは、土の中に隠してしまうことと同じことです。神様の愛が与えらえ、イエス・キリストの福音が委託されているのに、それを自分のためだけ、自分の心の中だけに置いているのは、神様の思いではありません。
このたとえの中で注目すべきことは、この主人は、5タラントンと2タラントンを儲けた使用人たちに同じ言葉をもって褒めている点です。21節と23節に「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」とあります。これは儲けた金額が神様の関心ごとではなく、神様に対していかに忠実に、誠意をもって委ねられたものを的確に、有効に活用したかと云うわたしたちの誠実さを重要視されると云うことです。神様は、誠実な人を必ず顧み、さらに祝福してくださいます。
主人を恐れてタラントンを土に隠した人は、持っているものまで取り上げられて、闇の中で泣きわめき、歯ぎしりをする、つまり後悔するとイエス様は言っておられます。わたしたちは、主イエス・キリストを通して救いが与えられ、信仰が与えられ、神の愛、キリストの十字架と復活を告白し、神の喜ばれる実を豊かに結ぶことが委ねられています。まず個人的に、そして教会として。わたしたちに大切なことは、過去を振り返って後悔することではなく、将来を心配することでもなく、今日という日に、神様に対しては忠実に、人々に対しては誠実に、また自分自身に対しては信実に、正直に生きてゆくことです。主イエス様のように仕えて生きる道を歩んで参りましょう。
イエス様と交わした約束を覚え、与えられている時間や健康や才能や富をよく管理し、神様とイエス様の喜びのために、人々のために、キリストのからだなる教会のために信仰をもって仕えてゆきましょう。