「預言者エレミヤはイエスを誰と云うか」 十一月第二主日礼拝 宣教要旨 2017年11月12日
エレミヤ書 33章6〜16節 牧師 河野信一郎
「イエスは誰か」というテーマで宣教シリーズを続けていますが、今回の主題を「預言者エレミヤはイエスを誰と云うか」にしましたが、これはシリーズに合わせた題であって、本来は「預言者エレミヤを通して神はイエスを誰と云うか」とすべきなのです。何故ならば、今回の聖書箇所として与えられている33章は主なる神の言葉のみが記されていて、エレミヤは彼に臨んだ神の言葉を忠実にイスラエルの民に、そして私たちに語り伝えているだけだからです。
さて、今回の箇所を読み進めてゆく前に、エレミヤ書32章の37節から42節を読みたいと思います。「かつてわたしが大いに怒り、憤り、激怒して追い払った国々から彼らを集め、この場所に帰らせ、安らかに住まわせる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。わたしは彼らに一つの心、一つの道を与えて常にわたしに従わせる。それが、彼ら自身とその子孫にとって幸いとなる。わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。わたしは彼らに恵みを与えることを喜びとし、心と思いを込めて確かに彼らをこの土地に植える。まことに、主はこう言われる。かつて、この民にこの大きな災いをくだしたが、今や、彼らに約束したとおり、あらゆく恵みを与える。」
この神の言葉は、とっても素晴らしく、感謝で、神の愛が強く感じられ、心が感動します。「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる」と言う言葉は、私たち全ての人々に与えられている恵み、救い、平安、希望、喜び、幸いであります。主なる神は、イスラエルの罪のゆえに一時期は国を滅ぼして捕囚の民としましたが、今一度、イスラエルを復興されると約束してくださいます。同様に、罪のゆえに闇の中を彷徨うようになった私たちを光のうちに今一度招き入れようとしてくださって、救い主イエスをお与えくださった。そこに神の愛があります。
さて、預言者エレミヤを通して、神はメシア、救い主イエスについて何と云っているでしょうか。33章6節に、「見よ、わたしはこの都エルサレムに癒しと治癒と回復とをもたらし、彼らを癒して真の平和を豊かに示す」と云っています。救い主イエスは、傷ついて弱り果てている私たちを癒し、回復を与え、真の平安を与えてくださるお方であると言うことです。そして7節に、私たちに「繁栄を回復し、私たちを本来のあるべき姿に造り直してくださるお方がイエス・キリストだと云っています。8節に「わたしに対して犯した全ての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆の全てを赦す」と主なる神は約束してくださいます。
まさしく、イエスがカルバリの丘の十字架に架けられ、成し遂げてくださった贖いの御業によって私たちの罪は赦されました。主の十字架によって私たちの過去と現在と未来の罪も赦され、その罪の縄目から解放されているのが私たちであり、その恵みをいつも覚え、悔い改めの心を持ち、恵みに応えて生きてゆくことが神の御心であると信じます。
主の恵みに応えて生きる方法が9節に明確に記されています。「わたしがこの都に与える大いなる恵みについて世界のすべての国々が聞く時、この都はわたしに喜ばしい名声、賛美の歌、輝きをもたらすものとなる。彼らは、わたしがこの都に与える大いなる恵みと平和とを見て、恐れおののくであろう」とあります。全世界に出て行ってキリストの福音、神の愛を宣べ伝えてゆくことだと旧約の時代から命じられていることに驚きを覚えますし、それが本当に神の御心であることが分かります。
10節から11節には、私たちの罪の結果として、荒れ果て、廃墟となってしまったエルサレムを、つまり私たちの心を回復し、喜びと感謝と賛美で満たしてくださることが約束されていますが、私たちの心に宿り、いつも共にいてくださる主イエスと御聖霊が私たちの心を新しく作り変え、喜びと感謝と賛美で満たしてくださいます。ですから、私たちに大切なのは、心の扉を開いて、イエスを救い主として招き入れ、信じれば、あとは主イエスと御聖霊が回復と祝福を与えてくださる。信じて委ねる信仰だけで、私たちは救われ、心が回復するのです。
12節に、「万軍の主はこう言われる。人も住まず、獣もいない荒れ果てたこの場所でまたすべての町々で、再び羊飼いが牧場を持ち、羊の群れを憩わせるようになる」と約束されていますが、目を閉じて想像して見ましょう。何と安らかな光景でしょうか。わたしは、最初のクリスマスの夜の光景が思い浮かびました。ルカ福音書2章に記されている羊飼いたちが野宿しながら夜通し、羊の群れの番をしている光景。その羊飼いたちにメシアが生まれたとの大きな喜び、素晴らしい福音が告げられます。
これは預言者エレミヤが主なる神に忠実に仕えていた遥かな時代に約束されたこと、エレミヤ書33章14節から16節に約束されていることが成就したのです。「見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来ると主は言われる。その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。」
主なる神は、預言者エレミヤを通して、来たるべきメシア、キリスト、イエスは「救い」であると云うのです。この神の言葉・約束を信じる者は、大いなる恵みを永遠に受け続けて、永遠に恵みのうちに生きることが許されます。信じましょう。信じることから救いと祝福が始まります。