神の民として生きる

宣教「神の民として生きる」大久保バプテスト教会副牧師 石垣茂夫     2023/07/16

聖書:創世記1章1~5、26,271節(p1~2)

 

「はじめに」

現在、朝の教会学校のテキストは、9月末まで、聖書66巻の初め、創世記1章から11章までの、「創造物語」と「ノアの箱舟」「バベルの塔」までです。従いましてわたしの宣教も、この間は、創世記のこうした個所の予定です。現代につながる、意味深い言葉にあふれた、とても興味深い内容です。どうぞ、教会学校に、ご出席くださり、ご一緒にお読みできればと願っています。

 

皆様にはそれぞれに、初めて聖書を手にした時という時があると思うのですが、どのような出会いであったでしょうか。お互いに、印象深く、その時のことを覚えておられると思います。

 

わたしには、とても苦い思い出があります。

わたしは、中学一年生でミッションスクールに入学しました。学校では入学者全員が、教科書と一緒に聖書と讃美歌を購入し、それを毎日、カバンに入れて学校に通うのです。そのような時代でした。

そして、学校では毎朝礼拝があり、週に一度、キリスト教について学ぶ「聖書の時間」がありました。

最初の「聖書の時間」が始まった日のことです。

先生は、「持っている聖書の創世記1章を開くように」と言われました。

当時の聖書の表紙には、『舊きゅう新約しんやく聖書せいしょ』と書かれています。1917年の出版で、とても古い日本語で書かれています。(文語訳『舊きゅう新約しんやく聖書せいしょ』(1917年 大正訳)創世記1章)

 

わたしは、クラスの出席番号が1番で、一番前の席の右端に座っていました。

そして先生は、一番前のわたしに向かって、「君から初めて順番に、1節から5節づつ読みなさい」と言われました。

わたしは、立ち上がり、買ったばかりの分厚い聖書を開けました。

しかし、教会行ったことのないわたしは、見たこともなく、読んだことのない言葉を目にして、ただ驚きました。わたしは、ひたすら、ふりがなを追って、たどたどしく読み始め、5節まで、何のことだか、全く分からぬまま読み終えました。

わたしが読みました聖書箇所は、(スライドで移していただきますが、)次のような言葉です。

1、元始はじめに神かみ 天地てんちを創造つくり給たまへり。

2、地ちは定形かたちなく曠む空なしくして黒暗やみ 淵わだの面おもてにあり、

神かみの霊水れいみずの面おもてを覆おほひたりき。

3,神かみ 光ひかりあれと言給いひたまひければ光ひかりありき。(以下略す)

こうして、わたしが読み終えたその時、先生はとても怒っていました。「もっとすらすらと読めるように、家でよく読んで来なさい」と言われました。わたしの後に続いて読んだクラスメートが、すらすらと読めたのかどうか、記憶にありません。それが、わたしの、聖書との最初の出会いでした。

創世記を読むたびに、わたしはその日、怒られた時のことを思い出すのです。

皆様は、どのようにして聖書に出会ったのでしょうか。

「創世記のことば」

旧新約聖書66巻は、「初めに、神は天地を創造そうぞうされた」(1:1)との宣言で始まります。わたしたちにとって、聖書の、この第一声を「どのように聞く」のかは、とても大事なことです。

さて、どのように聞いたなら良いのでしょうか。今朝は、皆さんで、少し悩みながら考えてみたいと願っています。

 

ある人は、「創世記」に書かれている事象、これは「神話」だと言い切ってしまいます。しかし、「神話」だと言って片付けてしまうなら、それは、聖書の言葉を、人間の納得できるレベルに引き下げてしまうことであり、神様を小さくしてしまうことではないでしょうか。

 

また、ある人は、聖書の言葉は、神の言われた言葉そのものであると信じて疑わず、「疑問を持たないように」と勧める場合があります。そのため、時には聖書の記述と矛盾むじゅんする、「進化論」や「科学の取り組み」を真っ向から否定するということが起きてきます。

 

一方で、目に障害を負って生まれ、全く視力のないある女性は、創世記の言葉を聞いてこう言っていました。

「初めに、神は天地を創造された」(1:1)、「神は御自分にかたどって人を創造された」(1:27)。

『この言葉を耳で聞いた時に、生まれてから今まで、わたしはこの世界の何も見たことがないのに、「神様がわたしを造ってくださった。」という言葉を聞いて感動した。嬉しさがこみあげて来た。』と、その時の喜びを語っていました。

さて、教会に集うわたしたちには、どのような読み方や聞き方が求められるのでしょうか。現代のわたしたちは、今に至ってもなお、そうした多様な考えに囲まれた中で、聖書を読み、御言葉を聞いていくことになります。

それでは、どのように聖書を読めば、偏かたよらずに正しく神の言葉として受け止め、信仰の言葉として受け止めて行けるのでしょうか。お一人お一人の中に、その答えを簡単に得られるという事はないかもしれません。

しかし、毎週のように、神さまに聞こうとする思いを持って礼拝に集い、み言葉に触れる中で、正しく導かれていくことになると、わたしは思うのですが、どうでしょうか。

 

「創造物語」

これは、聖書を読むときの一つの方法ですが、「創世記」を読むときには、この文書が書かれた時代背景を知ることが欠かせないと言われています。

「創世記」をはじめとする、聖書の主要な部分は、今から2,500年から3,000年前の間、約500年という長い期間の中で書かれました。その中でも創世記第1章は、意外にも比較的新しい時代、紀元前500年代の文書だと言われます。

今から2,500年前のイスラエルとは、どのような時代であったのでしょうか。

当時のイスラエルは、バビロニアという強大な国によって滅ぼされ、首都エルサレムを中心に、主要な人材のほぼすべてが、占領軍の首都バビロンに、捕虜として連れ去られてしまうという、「バビロン捕囚ほしゅう」の悲惨な中にあり、人々が生きる希望を失っていた時代でした。

首都バビロンでは、捕囚ほしゅうのイスラエルの人々の目の前で、勝ち誇るバビロニアの人々による盛大な祭りが行われ、人々は、異教の神を礼拝しなければなりませんでした。敗北とは、自分たちの国の敗北に留まらず、同時に自分たちの神の敗北でもありました。

そのように、イスラエルがバビロン捕囚の苦しみを味わい辱はずかしめを受け、多くの同胞が、我々の神はもういないと思うような時代の中であって、自分たちの神はどのようなお方なのか、もう一度問い直そうとする人たちがいました。彼らのことを聖書では、「残りの者」と呼んでいます。神はおられないという時代の中で、信仰の闘いを始める人々、「残りの者」が立ち上がったのです。

彼らは、旧約聖書の編纂へんさんを決意して、「初めに、神は天地を創造された」と書き始めました。

神を無視し、力による支配を誇るバビロニア支配の時代に在ってそれに耐え、五百年を超えて、受け継いできた言葉から、真まことの神を捉とらえ直して行った人々の言葉が「創世記」以下の文書として綴つづられたいきました。そのような背景を知って読むということが、わたしたちに求められていると言われます。

 

今の時代はどうでしょうか。神を無視し、力による支配に頼る傾向は、一層強まるばかりです。人類は成長せず、罪の深みに陥おちいっているのが今日ではないでしょうか。

「創世記」は、今の、このような時代にこそ、聞かなくてはならない言葉ではないでしょうか。

「初めに、神は天地を創造された」のです。

 

「人を造ろう」

今朝は、創世記1章を、二つに切り取って読んで頂きましたが、その中の後半の言葉に注目します。(1:26a)神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」

神は、第一日目から第五日に至るまでは、「神は言われた」、「神がそれを見て良しとされた」、というステップを踏んで、創造の業が進んできましたが、第六日目になりますとこれまでとは違う表現になっています。

「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」。

神はご自分に向かって問いかけてます。「そうだ、こうしよう」と自問じもんしておられるのです。

神は、六日目の、「人間の創造」に至った時、まるで誰かに相談するようにして自分自身に問いかけ、「よし、そうしよう」と決断しています。わたしたち人間は、そのような神様の特別な思いを受けて造られたと聖書は伝えています。

 

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(1:27)

この言葉によれば、わたしたち人間は、自分のどこかに、神の形、神のイメージを持っているということです。そのため、「神の形」について、様々に議論されてきました。

ある方は、神は、わたしたちがしているように、いつも視線を前に向けて、二本の足で立っている。魂をもち、知性をもっているに違いない。そのように、神をイメージします。

或いは人類について、神は人を男と女に創造されたのだから、男か女か、どちらかでなけらばならないと捉とらえ、性せい同一どういつ障害しょうがいの人を排除します。しかし、わたしたちには、そうしたことまで断定する権限は無いように思います。

人は皆、等しく、神によってつくられた一人なのです。

 

「星野富弘さんについて」

今朝は、終わりに「星野富弘さん」を紹介したいと思います。

星野ほしの富とみ弘ひろしさんは1946年、群馬県の農家に生まれました。現在76歳です。

富弘さんは、子どもの頃から運動が大好きで、鉄棒やマットを使った器械きかい体操たいそうにあこがれていました。

1970年、群馬大学体育科を24歳で卒業し、高崎市立 倉賀野くらがの中学校体育教師として赴任しました。

赴任ふにんしたばかりの年としの66月がつ、クラブくらぶ活動中かつどうちゅうに首しゅの頚けい髄ずい(骨ほねと骨ほねの間あいだ)を損傷そんしょうし、首くびから下したの自由を全く失ってしまいました。

神学校に入学したばかりの大学の先輩である米谷よねやさんは、富弘さんの怪我けがを知り、東京から駆けつけて、一冊の聖書を手渡しました。しかし、その聖書は段ボール箱に入れてしまい、しばらくの間、読むことはありませんでした。

1972年12月のことですが、群馬大学病院に長期入院中、口にサインペンを加えてカタカナの字を書き初めました。次に初めて漢字を書いてみました。以後、次第に詩や画を書くようになりました。

ある日、米谷よねやさんにもらったものの、箱に入れたまま、開けないでいた聖書を開いたとき、

「11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(新改訳聖書マタイ11:28)との言葉に出会いました。

この言葉は、村の墓地の、一つの墓標に刻まれていた言葉であったのを思い出しました。不思議なほどよく覚えていたようです。

古い言葉で、「すべて勞ろうする者もの、重荷おもにを負おふ者もの、われに来きたれ、われ汝なんじらを休やすません」と書かれていた。

この御言葉に触れた富弘さんには、「あなたは、重荷を負ったそのままで、わたしのところに来なさい」と、そのように聞こえてきました。「わたしのところに来なさい」。このキリストの言葉に再び出会った富弘さんは、次第に信仰に導かれていったのです。

1979年 自宅療養に踏み切りました。間もなく、数年前から毎週欠かさず訪問してくださっていた渡辺さん(前橋キリスト教会員)と結婚の約束をしました。

9年間、休まずに付ききりで看護していた母や姉、家族にとって大きな喜びとなりました。

 

1979年  第一回詩画展を開催。

1981年 自伝『愛、深き淵より』出版(学習研究社)

1981年 前橋キリスト教会員 渡辺さんと結婚。

『愛、深き淵より』出版

 

1986年 手記「かぎりなく、やさしい花々」Here so Close But I Didn`t Know 偕成社出版

1991年 東村立 富弘美術館開館

2005年 新 富弘美術館が開館(わたらせ渓谷けいこく鉄道てつどう「神戸かんど駅」下車)

 

大久保教会では、今年の秋、11月17日から23日にかけて、「星野富弘アート展」を行うことになりました。友愛執事の今野兄が中心になり、展示会に向けて、準備が進められていますのでお祈りにおぼえてください。

チラシも作成しますので、お知り合いをお誘いください。

 

招詞では、詩編8編の御言葉が読まれました。

『そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。』8:4

「人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。」と、

詩人はつぶやいています。

神さまはなぜ、神さまを求めもしなかった者を愛してくださるのでしょうか。

聖書の初めには、神さまがご自分に似せて、わたしたちを人として造られたと宣言していました。

神様は、他の何よりも、自分と向き合ことのできる、人を必要とされたのです。

その人は、間もなく神さまを避け、隠れ、罪にまみれて、命を失っていきました。しかし神様は、ご自身の独り子イエス・キリストの命を惜しまないで与え、わたしたちを新しい人として造り直してくださいました。

神さまは、責任をもって、人を造られた時の、はじめの愛をつらぬいてわたしたちと共に居てくださいます。

神さまは、わたしたちがキリストを信じる者として、新しく誕生することを、何よりも喜んでくださいます。

神さまは、人を創造した時の喜びをそのままに、わたしたちの救いの完成まで、喜びをもって導いてくださるお方です。この一週の歩みを、その神さまの導きに委ねて、歩ませて頂きましょう。【祈り】