救い主から近づいて来られて

「救い主から近づいて来られて」 クリスマス礼拝宣教 2020年12月20日

 ルカによる福音書 2章8〜16節      牧師 河野信一郎

おはようございます。メリークリスマス!救い主イエス・キリストのお誕生、心から感謝です。2020年のクリスマスシーズンは、国内に、そして世界中に蔓延しています新型コロナウイルスによって、これまで経験したことのない日々をわたしたちは過ごしていますが、それでも今朝、皆さんとご一緒に、この礼拝堂で、またインターネットを通してクリスマス礼拝をおささげできる幸い、この恵みを与えてくださる神様に感謝いたします。

今年のクリスマスは、わたしたちの記憶に残る特別なクリスマスですので、わたしはいつもアドベントクランツを作ってくださる姉妹に無理なお願いをして、例年のクランツとはまったく違うものを準備していただきました。普通は、もみの木の枝などで作ったリースに4本のろうそくを立て、4週あるアドベント期間中に毎週日曜日に1本ずつ火を灯してゆくのですが、皆さんの前のテーブルにあるクランツには合計10本のろうそくがあって、そのうちの8本に火が灯されています。皆さんもこのようなアドベントクランツを過去にご覧になったことはないと思います。この1ヶ月間、不思議だなぁと思われた方もおられると思います。今年限りの特別なクランツです。

今日は、この特別なクランツの謎解きからしたいと思います。まず真ん中の大きな白いろうそくはわたしたちのために御生れくださったイエス・キリストを、その純真さ、そのピュアな性質を表しています。そしてそのろうそくを取り囲むように形状が違う9本のろうそくが立てられていて、そのうちの7本に火が灯っています。この9本のろうそくは、9つの霊の実を表しています。すなわち、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。

わたしたちの教会では、この2020年度、この9つの霊の実を結ぶ教会に成長することを目標に歩んでおります。4月から9月まではガラテヤの信徒への手紙を1章から読み進め、10月からは神様がわたしたちに求めておられる9つの霊の実は果たして何であるのかということを一つずつ吟味し、4つの福音書の中で語られる主イエス様の言葉に毎回聴いています。9つある中の7つはすでに聴きましたので、7本のろうそくに火が灯っています。あと柔和と節制という実が残されていますが、来週27日の礼拝と来年1月10日の礼拝で聴いてゆくように準備しています。

このような話を何故クリスマス礼拝の中でするのか、不思議に思っておられる方もおられると思います。そうだろうと思います。では、わたしも皆さんに一つお尋ねいたします。皆さんは何故クリスマスをお祝いしているのでしょうか。わたしたちは何故このように礼拝堂に、そしてインターネットを介して共に集まり、クリスマスを今日お祝いし、賛美と礼拝をおささげしているのでしょうか。何故「メリークリスマス!」と互いに挨拶を交わすのでしょうか。答えは簡単です。救い主イエス・キリストがお生まれになられたから。先ほど読んでいただいた聖書にこう記されています。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。』」 

「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と羊飼いたちに天使が宣言します。「あなたがたのために」、つまり「わたしのため、あなたのため、わたしたちのために」ということです。しかし待てよ、「わたしのために救い主が生まれた」ということは、わたしは何かから救われるべき存在であるということ? それでは、わたしが救われるべきものって一体何? 何からわたしは救われなければいけないの? えっ、分からない。救われるべきことがわたしにあるなんて考えたことがないという方、そのような自覚がない方もおられるかもしれません。

生きてゆくために必要なものがその都度、満足できるものではないけれど働く中である程度の生活を得られてきたという方もおられるでしょう。何事にも欲を出さず、実直に生きれば十分に幸せに生きて行けると感じて頑張ってきた方、いま頑張っておられる方もおられると思います。コロナ禍にあってもすべて順風満帆で、ある意味、平和ボケ、幸せボケしているという方もおられるかもしれません。しかし、天使に「救い主が誕生した」と告げられた羊飼いたちは平和ボケの生活をしていたわけではなく、人里離れた場所で夜通し羊の群れの番をする労働者たち、孤独な仕事をし、たぶん貧しい暮らしを強いられ、羊の群れの番をするという重要な働きをしても社会の中で顧みられない人たちであったであろうと思われます。

お話を進めてゆく前に9つの霊の実とイエス様の関連性についてお話を済ませておきたいと思いますが、神様がわたしたちに期待しておられる霊の実・真の愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制をわたしたちが結ぶためには、イエス様につながっていないと決して結べないから、9本のろうそくの中心にイエス様のろうそくが置かれています。わたしたちが勝手に思い描く愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制という人間的なものと、神様が求めておられる霊の実とはまったく違っていて、わたしたちの知恵や知識や経験や努力では決して結べない実、イエス様なしには結べないのが霊の実であるのです。

さて、わたしたちは何から救われるべきなのでしょうか。先ほど羊飼いのことをお話ししましたが、社会の中で小さくされている人たち、顧みられない人たち、孤独な人たち、虚しさやいたたまれなさを感じておられる方、人間関係の中で暴力や人々の冷たさに苦しみ、傷つき、それに対して怒り、不満を持ち、悩み、希望を持てないでいる方、自分の生い立ちを嘆き、過去に犯した間違いをずっと悔やんでいる方、将来のことを考えると不安でならないという方、何のために生きているか正直分からないという人生の意味や目的を見失って路頭に迷っている方もおられると思います。いつ来るか分からない、でも確実に訪れる「死」というものに対して恐れを抱いておられる方もおられるかもしれません。

このコロナ禍の中で、計画がすべてダメになり、今まで築いてきたものや大切にしていたものを失い、そのために夫婦関係、親子関係などが崩壊してしまった、生まれて初めてホームレスになったという方など、数え切れないほどこの日本に、世界中におられます。人々から、職場や学校やコミュニティーから、また教会から距離ができてしまって、神様も正直遠くに感じている。

そういう疎外感、孤独感を味わう中で、メリークリスマスって聞きたくない、きらびやかな飾りつけを見たくない、楽しそうな笑い声、歌声など聞きたくないという人たち、クリスマスを喜べないという人たちがこの寒い空の下にたくさんおられます。生活に困窮し、精神的にも肉体的にも、もうどうしようもない状態の中に置かれている方々が教会の外に確かにおられる中で、わたしは無力さを感じるわけですが、そういう状況の中におられる方々、クリスマスを喜べない、クリスマスの意味が分からない人々にこそ聞いてほしいクリスマスのメッセージ、神様の言葉がある。イエス・キリストは、エリコという町にいた徴税人ザアカイという人に歩み寄り、この人を罪と悩みから救い出し、彼に新しい人生の使命を与えた時、このようにおっしゃいました。「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(ルカ19:10)と。

イエス様は、神様から遠く離れて闇の中をさまよっているわたしたち、苦しみや悲しみ、悩みや痛みを抱え、孤独に生きるわたしたち、神様をずっと遠くに感じている、いえ、神様の存在を無視し続け、自分のやりたい放題に生きて来たわたしたちのその身勝手さや弱さによって様々な間違いを犯し、人を傷つけたり、人から傷つけられたり、自分自身を追い込んだり、傷つけて苦しんで人生の道端にうずくまっているわたしたちを捜し出し、わたしたちの数え切れないほどの罪を贖い、わたしたちを闇から救い出すために神様から遣わされ、ベツレヘムという町にある家畜小屋で生まれました。神であられ、救い主であられたのに、人のかたちをとられ、心の貧しいわたしたちの只中にお生まれになられました。ですから、わたしたちはイエス様のお誕生を喜び、感謝をささげるためにクリスマスをお祝いするのです。

わたしたちに与えられている救い主、救いは神様の愛の業であり、神様から開始された恵みです。わたしたちを救うために救い主のほうからわたしたちに近づいて来られた、それがクリスマスメッセージです。イエス・キリストを通して神様はこのようにおっしゃるのです。「あなたはわたしに来なくても良い。わたしを探さなくても良い。わたしがあなたの近くに来る。わたしとあなたがたの間で壊れてしまった関係性という橋をわたしが再びわたしたちの間にかける。あなたがたと共に生きるためにわたしからあなたの所に行って、あなたといつも共にいて、あなたの心の中に住む。あなたのために生きる。あなたを愛する。あなたができないことはすべてわたしが担って行う。罪というあなたの負債をあなたに代わってすべてわたしが支払う。あなたを愛しているから、あなたと永遠に一緒にいたいから、わたしのひとり子を救い主としてあなたがたに与える。このわたしからの贈り物を拒まずに受け取ってほしい。わたしの愛を受け取りなさい」と神様は御使たちを通して招いておられ、主イエス様もわたしを信じ、わたしに従って来なさいと招いておられます。

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(15・16節)

わたしたちも、この2020年のクリスマスに、大変なことも確かに山積みだけれども、神様を信じ、神様から贈られる救い主を探し当て、神様の愛を感謝して受け取りましょう。